日時−1 新宿 |
2010年07月07日(水)18時30分〜20時30分
■新宿会場 東京都新宿区西新宿7丁目20番1号 住友不動産西新宿ビル15階 |
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日時−2 八重洲 |
2010年07月14日(水)18時30分〜20時30分
■八重洲会場 東京都中央区八重洲1−7−4 矢満登ビル ※各会場の場所につきましては、コチラでご確認ください。
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講師 |
朴世權
(株)メディア・システム・エンターテインメント
バイスプレジデント
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参加定員 |
各30名
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概要 |
1994年当時、まだサッカーブランドとして認知が低かったナイキ・ジャパンが、アシックス、アディダス、プーマの3社のスポーツメーカーと16年間変わらず取引をしていた日本サッカー協会の中に食い込もうとする。
人間関係、実績を大切にする世界でも珍しい日本の商取引の習慣の中で、アメリカからのノウハウは使えずに手探りの中で交渉を始める。
目指すは8年後の2002年日韓共催のワールドカップでの、日本代表オフィッシャルパートナー。
全く手探りの状況で、朴世權は何をゴールとし、どのように交渉をしてきたのか?
そこで起こった実話を裏話を交えて、皆様にお話をさせていただきます。
【1984年】
ブランド認知のないナイキ・ジャパンの黎明期
【2002年】
FIFAワールドカップを目指し日本サッカー協会との8年越しの交渉をまとめた張本人によるビジネス・ネゴシエーション・セミナー
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